所在地 北九州市小倉北区室町二丁目
調査時期 令和3年1月27日〜2月17日
調査時期 令和3年1月27日〜2月17日
調査面積 171.36㎡
調査の内容
本遺跡は、北九州市小倉北区室町二丁目に所在する。紫川左岸下流域に広がる沖積平野に立地する。現地表面の標高は3.5mを測る。
調査地は長崎街道の起点である常盤橋の西に位置し、街道に南面する。幕末の絵図によると大坂屋定七の屋敷跡である。基盤層である淡褐色細砂層の上面に旧地表面と考えられる暗灰色砂質土が堆積し、この上面を客土で整地し、生活面としている。この整地層には中世期の土師質、瓦質土器、明の青花、白磁、近世の瓦、陶磁器類が含まれる。
整地層上面で検出した遺構は、石室、石組み炉、石敷遺構他、土坑、柱穴などである。石室は内面幅30cm、長さ60cm、深さ20cmと小さく、床面に石を敷き、粘土で目張りをしている。石組み炉は、全長1.6mを測り、北側では内径90cm、高さ30cmに円柱状に石を組み、南側では台形状に石を一段並べる。円柱部分が被熱している。石室および、石組み路は主軸の方向をほぼ同一に持ち、並んで構築されている。江戸期の遺構と考えられるがいずれも出土遺物が少なく、用途及び時期を確定できていないが、廃絶時に同質の淡褐色細砂を上面に撒いていることから、同時期に使用されていた可能性が高い。街道に面した町屋の生業を考える上で貴重な資料である。

