公益財団法人 北九州市芸術文化振興財団

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埋蔵文化財調査室


平成30年度 市民考古学講座

第3回「古墳」を9月27日(木)に行いました。

 今年度の市民考古学講座第3回目は古墳時代についてお話をしました。

 特に北九州市内各地の勢力(豪族)の盛衰からみた北九州市の古墳時代を考えていこうということです。

 北九州市内でも弥生時代からいくつかの勢力が存在していたことは青銅器の分布からみても明らかです。弥生時代後期に絞ってみても紫川河口では小倉城庭園建設時に出土した中国製の「長宜子孫ちょうぎしそん」内行花文鏡は中国製の絹織物の一つ「」と呼ばれる特殊な織物で三重に包まれており、この河口にもかなりの勢力が存在したことがわかります。

 この他に城野遺跡の方形周溝墓や、小倉南区長野の冷水では銅矛どうほこが2ふり、護念寺には銅戈どうかが1振あり、各々の地域にかなりの勢力が存在したことは明らかです。

 紫川上流域では長行の郷屋低墳丘墓から四禽文鏡しきんもんきょうが一面、また八幡西区の馬場山遺跡や若松区の北海岸沿いの岩屋石棺群からも中国製鏡片が出土しており、弥生時代後期〜終末期にかけての北九州市内は群雄割拠ぐんゆうかっきょの状態であったことがわかります。

 弥生終末期には長野で全長39mの臼山うすやま前方後円墳が出現し、いち早くヤマト王権との強い結びつきがみられます。この北方約4kmの城野遺跡では一辺24.5mの方形周溝墓が造られ、長野では古墳時代に突入し、城野では依然として弥生時代の墓制を引き継いでいるという文化の差が現れるようになります。

 古墳時代では曽根で三角縁獣文帯三神三獣鏡片を副葬した御座おんざ1号前方後円墳が造られ、若松北海岸の脇田わいた丸山古墳群では畿内の布留ふる式土器を副葬する方・円墳が現れ、ヤマト王権との結びつきが窺われます。

 中期になると紫川中流域に蒲生寺中がもうてらなか古墳が造られます。副葬品に鉄艇てっていや武器などもあり、朝鮮半島出兵との関わりが考えられます。

 また曽根の全長55mの茶毘志山ちゃびしやま前方後円墳は『日本書紀』雄略天皇18年の条にある物部聞大斧手もののべきくおおおのての墓と考えられ、伊勢の朝日郎あさけのいらつこを退治しに行っていることが記されており、ヤマト王権とはかなり密接な関係が想定されます。

 前方後円墳は北九州市内で曽根平野にしかみられませんが、後期になると数多く造られるようになります。これまでの在地の首長系譜とともに周防灘から湾入した海浜奥部に全長72mの荒神森こうじんのもり古墳をはじめ、丸山古墳、円光寺えんこうじ古墳と3基の前方後円墳が造られます。人物埴輪や馬形、家形、器財きざい埴輪が多く並べられており、『日本書紀』安閑あんかん天皇2年の条の「大抜屯倉おおぬくのみやけ」と関係する人たちの墳墓ではないかと考えられます。

 7世紀に入ると紫川中流域では小円墳が点在するようになりますが、八旗やはた神社古墳群では、1号墳から金銅製双龍環頭柄頭かんとうつかがしらや半島製の壺などが出土しており、朝鮮半島出兵と関わりある人たちの墳墓群ではないかと考えられます。

 このように古墳時代の400年間余りをみても時代によって大きく勢力が変化していることが窺われます。その背景にはヤマト王権での中央氏族の勢力争いや対朝鮮半島との関係の変化などに左右されたことが推定されます。



(公財)北九州市芸術文化振興財団 埋蔵文化財調査室
学芸員 宇野愼敏


※この講座の参加募集はすでに締め切りました。またのご参加お待ちしております。



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