公益財団法人 北九州市芸術文化振興財団

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平成28年度 市民考古学講座

『北九州の歴史を考古学の力で紡ぐ』

第6回『中・近世』を3月23日(木)に行いました。

 平成28年度の市民向け考古学講座の第6回目は江戸時代の農村と小倉城をテーマに取り上げました。

 関ヶ原の合戦で武士達の戦いが終わり、勝利した徳川家の時代を江戸時代と呼んでいます。武士が活躍して以来約260年は戦のない時代でした。

 さて当時、北九州市の東側は豊前国・小倉藩の領地でした。最初の藩主は、元豊臣家の重臣である外様とざまの細川家で、そのあと徳川家譜代ふだいの小笠原家が九州の見張りのために入りました。

 小倉城は慶長7(1602)年から5年かけて細川家により築かれました。紫川を挟んで西曲輪くるわに天守閣をはじめ各種施設や武家屋敷、東曲輪くるわに城下町を作りました。お城の瓦には細川家の家紋である九曜くよう紋や小笠原家の家紋である三階菱さんかいびし紋の瓦が使われました。お城の広さは東西約2km(砂津川〜板櫃いたびつ川)、南北約1.5km(小倉駅〜木町)、周囲約8kmです。石垣と堀を組み合わせて45の門で守りました。天守閣(5層6階)は「唐造り」と呼ばれ、絵図にあるように破風はふのないつくりでした。当時、西日本のいくつかのお城では手本とされました。

 天守台の石垣の高さは約24mあります。天守閣は天保8(1837)年に火事で焼け、再建されませんでした。慶応2(1866)年の長州戦争で小笠原家は残りの部分にも自ら火をつけ焼いてしまいました。

 石垣は本丸の北側と東側に築かれ、外は土塁どるいと堀で囲みました。石垣に使われた最大の石は高さ1m、長さ2.5mくらいあります。大手門に向かって左の角石すみいしは長い石を縦に使いました。縦石たていしと同じく大きく見せるための板状の石を縦に使ったのが鏡石かがみいしです。鏡石は、大手門の奥にもありますが、虎ノ門のものが一番大きく立派です。また、虎ノ門の脇石も大きな石で、門司や間島ましま藍島あいのしまの石切り丁場ちょうばから運ばれました。

 南側の堀は「障子堀しょうじぼり」といって、堀の中に仕切りを残して造りました。小倉城の発掘調査では大量の瓦とともに陶器や磁器が出土しました。瓦はお城の門、やぐら、蔵、建物、武家屋敷、塀の他、町屋敷などにも使用されました。陶磁器は小倉藩の武士や町人が食事や雑用に使ったもので、碗、皿、壺、甕、り鉢などがあります。なかには行事やお祭り、お茶などに使われる上品なものもありました。それらは唐津焼、伊万里焼、瀬戸焼などでした。他に中国のみんしん代の器や寛永通寳かんえいつうほう火縄銃ひなわじゅうの部品、刀、やりなども出土しています。

 今回の講座を通じて、文化遺産は意外と身近な所にあることがお分かりになったかと思います。これからも、私どもは日々の研究を進めながら、皆さんと一緒に江戸時代の北九州について考えてまいりたいと思います。


※この講座の参加募集はすでに締め切りました。またのご参加お待ちしております。



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市民考古学講座 01

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