パスカル・ロジェはフランスのピアニズムを代表する名演奏家として地位を確立している。
プーランク、サティ、フォーレ、サン=サーンス、特にラヴェルの演奏は、その優雅さ、美しさ、デリケートなフレージングによって特徴づけられ、いまや彼の名は"フランス・レパートリーの名演奏"と同等の意味を持つ。
パリに生まれ、17歳でデッカと専属契約を結ぶ。これまでに2つのグラモフォン賞、グランプリ・デュ・ディスク賞を受賞、またラヴェル、サン=サーンスの協奏曲では独自の解釈に基づいた演奏を称えられたエジソン賞など、数多くの賞を授与されている。
その他のレコーディングでは、ロンドン交響楽団と録音したドビュッシー、バルトークのピアノ曲全集がある。
1999年にはプーランクのピアノ協奏曲"オーバード"、"ハープシコードとオーケストラのための田園のコンセール"の両方をデュトワ指揮でレコーディングしている。
これまでに世界のほとんどの主要コンサートホールで演奏。
オーケストラとの共演も数多く、フィラデルフィア管弦楽団、モントリオール交響楽団、パリ管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団、NHK交響楽団、ウィーン交響楽団、スイス・ロマンド管弦楽団、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス交響楽団、そしてすべてのロンドンの主要オーケストラ等と共演している。
英国に加えてアメリカでも定期的に活動をしており、ラテンアメリカ、メキシコ、オーストラリア、そして特に日本から頻繁に招かれている。
ハイライトとしては、インディアナポリス、英国、イタリア、フランスで行われたプーランク記念演奏会でハーグ管弦楽団と共演したほか、オーストラリアのパース音楽祭への出演や、フィラデルフィア管弦楽団における再共演などがあげられる。
1999年〜2000年のその他の活動としては、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団、チューリッヒ・トーンハレ交響楽団、ウィーン交響楽団などと共演した。
2000年にはロンドンのウィグモアホール、ベルリン、ウィーン、ポルトガルのシントラ音楽祭でのリサイタル、イタリアやスペインでの室内楽ツアーを行う。
2000〜01年シーズンの活動としては、ワイオミング州(アメリカ)のグランド・テトン音楽祭、シンガポール、台北での公演、チューリッヒ・トーンハレ交響楽団、チューリッヒ室内管弦楽団およびモントリオール交響楽団との共演、ベルガモ、ペスカラ、パリ、ロンドンでのリサイタルなどが含まれる。
2001年にはシャトークア、サラトガのサマー・フェスティバルに出演し、秋にはオーストラリア、ニュージーランド、日本で3ヶ月間のツアーを行い、室内楽とリサイタル公演に専念。
2002〜03年シーズンには9月にジュネーブのスイス・ロマンド管弦楽団に招かれ、ピンカス・スタインバーグのもとオープニング・コンサートにて演奏したほか、シュトゥットガルト南西ドイツ放送交響楽団との南ドイツ・ツアー、リンツ・ブルックナーハウスにおけるウィーン放送交響楽団との共演、その直後のグラン・カナリア・フェスティバルへの出演等を行った。
2003年にはロンドンのクイーン・エリザベス・ホールの国際ピアノ・シリーズでゲスト・アーティストとして選ばれたほか、アムステルダムのコンセルトヘボウにおいてイザイ四重奏団と共演し、その後ワイマール、ハンブルク、メキシコシティにてコンサートを行った。
また、2003年プラハの秋音楽祭に出演し、日本でリサイタルと室内楽ツアーを行ったほか、ドレスデンでシュターツカペレと室内楽コンサートで共演し、ワイマールにて室内楽コンサートを行った。
その後、ウィーン放送交響楽団と共演し、ロンドン・モーツァルト・プレイヤーズ、ハレ管弦楽団との共演のためイギリスを再訪。
2004年以降はベルゲン・ハルモニエン、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団との共演、ニュージーランド・ツアーのほか、日本では大阪フィルハーモニー交響楽団定期公演に出演、また毎年行われるいしかわミュージック・アカデミー、京都フレンチ・アカデミーの招待により、演奏の他、フランス作品を中心に後進の指導にもあたっている。
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