| 1954年10月、パリのベルヴィル生まれ。音楽が生活の一部であるマヌーシュの例にもれず、父親がバイオリン、母親がギターの名手であり、チャボロも6歳で母親からギターを学ぶ。彼の非凡な才能は早くもコミュニティの噂になり、ノミの市の古道具屋の店先で客寄せに弾くこともあれば、セミプロのバンドからの誘いも後を絶たなかった。そのたびに「チャボロ、この人たちは信用できそうだからいってらっしゃい」、「あの連中にはついてっちゃだめ」とオファーをチェックするのは彼の母親の役割だった。幼い頃に父親を失い、母親に育てられたチャボロにとって彼女は人生の絶対的な師であり、母亡き今も彼女の教えを自分の行動の拠り所にしている。
チャボロの早熟な才能を見抜いた人間にバビック・ラインハルトがいた。彼の父親は、チャボロが敬愛してやまないジャンゴ。ある日バビックの家に招かれ、ラインハルト夫人とジャンゴ前妻の息子ルソンの前でギターを弾いたことは人生の一大事件として今も彼の記憶に刻みこまれている。
1979年になるとバイオリン弾きウェデリ・コーラーの熱心な誘いにほだされ《ホット・クラブ・ダ・シンティ》に参加。コーラー、シュメリング・レーマン(ギター)、ヤニ・レーマン(コントラバス)の3人にチャボロを加えたカルテットは、
1981年に LP アルバムをリリースする。解散後、チャボロはしばらく表舞台から姿を消し、 1993年ようやく従兄弟ドラド・シュミットのかけ声で結成された《ジプシー・レユニオン》に顔を出す。
2000年、満を持して初のリーダー・アルバム「アロール? ... ヴォワラ!」を発表。 2001 年には「ミリ・ファミリア」のリリースに次いで、彼を<マヌーシュ・ギターの先生役>に抜擢したトニー・ガトリフの映画『僕のスウィング』が公開され、チャボロ・シュミットの名はジャンゴの忠実な後継者として全世界に轟く。
そして 2005年1月、チャボロの新たなクインテットによるレコーディングが実現。わずか4日で全曲の録音が完了し、曲数は当初の予定12曲から14曲へとアップ。いずれのテイクも絶品ぞろいで、悩んだ末のセレクションである。
(2005年5月「ルーチャ」発表)
2003年には『僕のスウィング』が日本で公開。この年の夏にマンディーノ・ラインハルトのノート・マヌーシュと共に初来日。日本でマヌーシュ・スウィング・ブームを巻き起こした。
2004年に従兄弟ドラド、その息子サムソンらと共にシュミット一族で来日した。 |