財団法人 北九州市芸術文化振興財団

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 筆塚まつり
 北九州都市協会では、地域文化の伝統を伝えていくため、小倉城書芸委員会などとともに、毎年小倉城で「筆塚まつり」を開催しています。
 「筆塚まつり」は、どなたでも参加できます。長く利用された古い書道筆や絵筆などがあれば、ぜひ、会場にお持ちください。
 開催時期は毎年10月です。詳しくはまたお知らせいたします。

 文化のシンボル 筆塚
 昭和34年10月に小倉城が復元再建されると、藩政時代から文運が隆盛だったこの地方に、再び興隆をはかろうという機運が高まり、小倉茶道協会によって茶筌塚が、小倉華道協会によって花塚が建立された。そして、当初計画された三塚の最後として筆塚の建立のため、40 年に小倉城筆塚建設委員会(会長・故横山白虹北九州文化連盟会長)が組織され、委員の努力によって筆塚が完成、同年4月29日に落成式が行われた。
 碑石は、豊前市の岩岳川の上流、岩屋産のもので、碑となる岩は高さが4.5メートル、台石10トンなど巨岩7個である。碑の「筆塚」の刻字は、小笠原藩の名書家・下枝董村(しもえだとうそん)の筆跡中から2字が選ばれたものである。 また、碑の前の「小倉城筆塚建立委員会之建」は、篠原紫流・小倉城書芸委員会前会長の揮毫によるものであり、刻字は高田正応・石工匠の手になるものである。
 文化のシンボルとして、小倉城苑に建つ筆塚、茶筌塚、花塚の三塚は、それぞれの建立主催者によって、供養、まつりが行われてきた。
 筆塚では、七夕まつりで学生たちから書作品を公募して全作品を展示したり、七夕色紙五千枚を孟宗竹10本に飾りつけ、使い古した筆を碑前で焼却、さらに習字が上達するよう祈願するなどの神事を行ってきたものである。
 筆塚の由来
 筆塚とは使い古した筆を集めて地に埋め、その供養をするために築いた「塚」のことである。中国ではすでに唐の時代に、僧の懐素(かいそ)が、使えなくなって筆の山となっていたのを埋めて、「筆冢(ひっちょう)」と呼んだということが「唐国史補」に記されている。日本では、江戸時代に寺子屋ができて以来、盛んに行われたようで、「孔雀楼文集−補遺」に、「筆塚」の名で記されている。

 下枝董村
 近世の名書家といわれ、名は道彦、字は精研、董村(とうそん)と号した。文化4年(1807)、旧企救郡合馬(おうま)村(現在の北九州市小倉南区合馬)に生まれ、明治18年、79歳で没した。母は、董村が生まれたとき菅原神社に詣で、「武芸者とならざれば、能書家とならしたまえ」と祈ったという。7歳のとき書法を学び、毎朝3000字を習うのを目標として、慶応2年(1866)の豊長戦争のとき肥後に逃れるときでも、旅舎でこれを続けた。肥後から帰国して、小笠原豊千代丸(のち藩主・忠枕=ただのぶ)の御習字師範を命じられた。晩年は、仲津郡(今の京都郡)城井馬場に住んだ。住居の前岸の大きな岩に「霖」の字を大書して刻み墓とした。自ら天雷彦命(いかづちひこのみこと)と称して、自分が死んだあと、旱天(かんてん)があったらきて祈れ、雨がかならず降る、といっていた。 董村の書法は、初めは中国の董其昌、趙子ミ、文徴明の筆法に通じ、のち王羲之に移った。(山崎有信「豊前人物志」から抄出)

 森鴎外小倉赴任100周年記念事業
  (森 鴎外 メモリアルイヤー)
 明治から大正にかけての文豪森鴎外が軍医として当時の小倉に赴任してから100年目の記念すべき年にあたる平成11年、(財)北九州都市協会では、市民公開講座や記念シンポジウム、鴎外が生まれた島根県津和野へのバスツアー、鴎外に関するエッセー募集など、様々な事業を記念事業の一環として行いました。
 『ひろば北九州』では、発刊以来、一貫して、森鴎外をふるさとゆかりの文学者として、様々な方たちの文章を掲載してまいりました。

(趣旨)
 森鴎外は、明治32(1899)年6月陸軍第12師団の軍医部長として、東京から小倉に赴任してきました。以後、明治35(1902)年3月までの足掛け4年の間、当時軍都となりつつあった小倉に住み、公務のかたわら、文学者として作品の執筆を続けるとともに、地元の有職者との交流や市民の啓蒙活動を活発に行ない、地域の文化振興にも多大な貢献をしました。
 北九州市は、このような文豪・森鴎外の足跡を記念するため、昭和49(1974)年、その旧居を文化財(史跡)に指定し、整備・公開するとともに、北九州森鴎外記念会の設立と活動を積極的に支援してきました。
 また、平成2(1990)年度には『森鴎外展』を企画し、これを端緒に北九州市ゆかりの作家を市民に広く紹介する「北九州市作家展」を毎回開催しています。
 更に鴎外は、優れた史伝を世に出しており、言わば今日の自分史文学の先駆者であることに着目し、平成2年度から「北九州市自分史文学賞」を発足させました。この文学賞には毎年、内外から400編以上に及ぶ応募作品が寄せられ、「自分史文学賞の北九州市」としての評価が高まっています。
 平成11(1999)年は、森鴎外が小倉に赴任した年からちょうど100年目にあたり、また、作家展と自分史文学賞は第10回を迎えました。このため、1999年を『森鴎外メモリアルイヤー』と位置づけ、小倉時代の功績を顕彰するため、全市をあげて記念事業を企画し実施いたしました。
 これらの記念事業の目的は、100周年を機に鴎外を改めて語り、学び、そのことを通じて地域文化の再発見、市民の文化文芸活動の振興、及び北九州市のPRを一層促進することです。