CulCul5月号 2013 page 7/16

CulCul5月号 2013

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概要:
北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

7 CulCul 2013.May 平成24年度に、小倉北区東城野町の旧陸上自衛隊駐屯地にある三郎丸遺跡第3地点の発掘調査を行いました。ここは、標高9mほどの丘陵上に立地し、丘陵の周囲には複雑に入り組んだ小さな谷が存在します。 発見された遺い構こうには、7世紀から8世紀(奈良時代)にかけての農民が住んだ竪たて穴あな住じゅうきょ居25軒と、平地式と高たかゆか床式の倉庫が合わせて11棟、火を焚たいた穴が20基以上あります。 竪穴住居とは、地面を半はん地ち 下か式しきに掘り窪くぼめて、柱を立てて屋根を支える構造の住居で、カマドが住居の壁際に作られます。屋根を支える柱は4本です。 竪穴住居の大きさには大小があり、家族は住居に分散して住んでいました。四角い平面形をした高床の倉庫は面積が12㎡ほどで、脱だっ穀こくした籾を収蔵し、長方形をした平地式の倉庫には穂首刈りをした稲を収蔵していました。 7世紀後半頃からは、水田も6才以上の者に一定の面積を割り当てられ、家族で水田や畠はたけを耕作していたことでしょう。この当時、租そという税は、穂首刈りした状態で納める必要があったので、稲は根ごと刈ることができませんでした。租の一部は白米にして京へ送ることも必要でしたが、その前に脱穀して白米にする仕事があり、それは女性の仕事でした。 当時の食料は発見されていませんが、当然コメを食べていたと考えられます。コメはカマドにかけた蒸し器(甑こしき)を使って蒸して食べられていました。コメ以外に、畠はたさくもつ作物として粟あわ、稗ひえ、大麦、小麦があり、主食はコメと粟や稗を混ぜた雑ざっこく穀ごはんです。それに汁と、野菜の副食という一いちじゅう汁一いっさい菜であったと考えられています。1日2食とすると、1日に1000キロカロリー以下という、超ダイエット食でした。 自分たちで生産する衣服以外にも、税として繊維製品を納める必要があったため、農民は桑を植えて蚕かいこを飼育し、織物を織っていました。この仕事も、主に女性の仕事と考えられています。 この遺跡からは、文字が書かれた土器が発見されていないので、文字を書けるような有力者でなく、一般農民家族が住んでいた村と思われます。【このコーナーの次回掲載予定は7月号です】埋蔵文化財hiroba 柴 尾 俊 介遺跡からのメッセージ北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室 学芸員Shunsuke Shibao三郎丸遺跡第3地点の古代集落の調査遺跡近景(後ろの山は足立山)発掘後の竪穴住居竪穴住居の調査風景