CulCul 8月号 2013 page 5/16

CulCul 8月号 2013

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概要:
北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

5 CulCul 2013.August 私にはこの劇が全体を通じてよくできたギャラリートークのように思えました。 古くには仏画を前に僧や芸人がその「絵解き」をしていた歴史があります。そこで仏画は字の読めない民衆に対して仏教の世界観を絵で示し、内容を語り伝えるための道具でした。 物言わぬ作品に語り部が息を吹き込み、見る者を作品世界へと誘う点では、仏画の絵解きも今でいうギャラリートークと共通しますが、美術館でのギャラリートークは必ずしも専門家が一方的に解説するものではありません。ギャラリートークの醍醐味は、専門家と鑑賞者とが感想や解釈をキャッチボールしながら、作品への想像力を広げていく瞬間にあります。美術作品の新たな魅力を発見あるいは創出するための、いわば二次創作の現場としてのギャラリートークです。 実際にはそのようなエキサイティングなトークを毎回繰り広げるのはなかなか困難ですが、この劇ではドガ作品への想像力がどんどん膨らみ、二次創作の醍醐味が十分に展開されていました。 さて、美術館が舞台となる劇として私が思い出すのは、劇作家の平田オリザ氏による 『東京ノート』(1994年発表・1 本誌6月号でも紹介された通り、北九州芸術劇場と北九州市立美術館のコラボレーション企画としてオリジナル演劇『切り裂かれたキャンバス?「マネとマネ夫人像」をめぐって』が制作され、この6月に上演されました。北九州市立美術館の所蔵作品エドガー・ドガ作《マネとマネ夫人像》をテーマとした演劇です。 この演劇の主役であるドガ作品は右側3分の1が切り取られ余白になっている、いかにも不思議な絵です。誰が何のために美術hiroba 花 田 伸 一北九州アートめぐりキュレーターShinichi Hanadaエドガー・ドガ《マネとマネ夫人像》(1868-69)作・演出:泊篤志 出演:寺田剛史、内山ナオミ、木村健二「切り裂かれる現実」996年に北九州市立美術館で上演)、美術家ユニットのNadegataInstantPartyによる『学芸員Aの最後の仕事』(2009年・演劇ではなく映画)の2本です。今回の劇も含め、この3本に私が特に関心を寄せるのは、虚構と現実とが混ざり合う点です。 美術館ロビーで展開される物語である『東京ノート』は実際の美術館で演じられることでより現実味が増し、水戸芸術館で撮影された『学芸員Aの最後の仕事』は実際の美術館を舞台に実際の学芸員が登場して虚構の物語を演じ、『切り裂かれたキャンバス』は実際の美術家や所蔵品のことが語られます。 演劇は通常「作り話」を「演じる」という二重の虚構で成り立ちますが、先の3本の作品では虚構と現実が入れ子状に重なり合い、スリリングな場が生まれています。 現実を現実通りに真正面から引き受けるのでもなく、かといって全くの虚構に遊ぶのでもなく、現実の世界に「ごっこ」の枠組みを当てながら、現実を一歩引いて見る視点を獲得すること、そのことにこそ芸術、とりわけ演劇の可能性があると私は考えています。 劇場と美術館の今後のコラボ企画にも期待したいと思います。切ったのか、ミステリアスな想像を誘います。 脚本の舞台は美術館事務室。そこへある男がドガの作と思われる一枚の絵を持って訪ねてきて、二人の学芸員が対応します。会話が進む中でドガ作品のミステリーに想像を重ねつつ、ドガやマネの作品の特徴や当時の状況などが語られ、観客の美術への知識や関心も自然と深まります。 この劇は北九州市立美術館分館の特設舞台で上演され、公演後には学芸員の解説を聞きながら実物の作品が鑑賞されました。