CulCul 9月号 2013 page 5/16

CulCul 9月号 2013

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概要:
北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

5 CulCul 2013.Septemberが共有されています。しかし日本ではその前提までは輸入できていないか、あるいはその前提の受け入れを無意識的に避けているのかもしれません。 いずれにしろ、このストックとフローへの意識の違いが西洋と日本の美術状況の差を生んでいるとするならば、その違いをふまえて日本の美術状況は遅れを取っていると嘆くこともでき、これぞ日本の社会環境に見美術hiroba 花 田 伸 一北九州アートめぐりキュレーターShinichi Hanada東京都美術館(前身は東京府美術館) 現在も多くの団体展・公募展が利用する。「フローとしての美術館」合った美術状況なのだといってその可能性を積極的に模索することもできるでしょう。 しかしながら現実には今のところ、どの美術団体も世代交代の難しさや組織の形骸化など多くの課題を抱え、本来フローであるべきものもデッドストックになりかねません。 そのような状況でフローとしての美術館を思い描くことは可能でしょうか。付者が現れるかどうかは別として、現在、国内の各市町村に建てられている公立美術館の多くが、もともとは地元の美術家たちの間で美術館建設を求める要望が起こり、市民の合意を形成しながら自治体へ働きかけ開館に漕ぎつけるという経緯を辿っています。 ここで一つ書き加えるならば、多くの場合、開館に向けての要望で思い描かれる美術館とは、正確には展示スペース(ギャラリーあるいはアートセンター)であり、厳密な意味での美術館(ミュージアム)ではないように見受けられることです。 本来、美術館(ミュージアム)とは博物館の一つであり、その活動の核は歴史的に意義ある美術作品の蓄積と保存継承、つまり歴史を保存するためのアーカイブ施設であるのですが、国内で美術館に持たれているイメージとしては、まずは催事場というイメージが強いようです。つまり日本で美術館に期待される機能の多くはストックではなくフローなのです。 美術という概念も、美術館という概念も、明治以降の近代化に沿ってヨーロッパから輸入された概念ですが、西洋では美術にしろ美術館にしろ、それは歴史を蓄積していく営み、つまりストックの場であるという前提 本誌7月号で北九州市立美術館黒崎市民ギャラリーを紹介した折、市民ギャラリーや貸画廊などのレンタルスペースのシステム、そしてその主な利用者である団体展・公募展というシステムは日本独特の歴史があると書きました。本号はその続きです。 日本で最初に「美術館」の名を冠する施設として開館した上野の東京府美術館は1926年に若松の「石炭の神様」佐藤慶太郎の寄付により建てられたことは以前書きました(『ひろば北九州』2009年4月号)。同館は1943年に東京都美術館と改名し、長らく公募団体展の主な発表場所として利用されています。近年は団体展増加に対応するべく新たな展示スペースを確保する必要から、2007年に国立新美術館が六本木に開館しました。 さて、佐藤慶太郎が美術館の建設資金の寄付を決めたのは上京時に偶然読んだ新聞記事がきっかけでした。当時まだ日本に美術作品を展示するための専門施設が無かったことを美術家たちが憂えて建設運動をしていたものの国の予算不足から難航しているという記事でした。その後、佐藤の寄付によって国内初の美術館建設は実現されました。ただ、このように運良く寄