CulCul 12月号 2013 page 4/16

CulCul 12月号 2013

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概要:
北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

4『あどばるうん』(1935年)正10)年、就職のため門司にやってきます。当時門司では俳句や短歌が盛んだったため東も短歌を創作していましたが、同時に詩を書き溜ためやがてモダニズム詩の世界に傾倒してゆきます。30年5月から32年11月にかけて、個人詩誌『エロ塔』『彼氏』『上層建築』『LE・ETOILE』など、誌名を変え8冊を発行。装そう幀ていは、門司出身の濱田方一でした。「自然のことを自然でなく」書き、「イマジネーションによって現実を変形」することを目指した東のシュルレアリスム詩と濱田の装幀は、中央文壇からも注目を集めたといいます。 やがて、門司から小倉へ転勤となり、総合芸術団体「汎芸術協会」を発足、機関誌『亜あししゅ刺朱』(35年)を刊行しました。この時の装幀は、八幡出身のシュルレアリスムの画家・寺田政明(俳優・寺田農の父親)でした。またその頃、堀口大学と親交を結び、同年刊行した第一詩集『あどばるうん』は、堀口が東の作品をピックアップし編まれたものでした。 第一詩集の発行を契機に、北園克かつえ衛の『VOU(バウ)』、春山行夫の『新領土』、岩佐東一郎(堀口大学の門人)らの『文芸汎論』などの全国誌にも作品を発表するようになります。その後、第二詩集『霞の海綿』(39年、装幀・挿画寺田政明)、第三詩集『硝子の自治領』(40年、装幀・挿画北園克衛)と精力的に詩集を刊行しました。のちに東は当時を振り返り、「がむしゃらに書きまくって行った。詩を進めるもののみが詩人だという信念に基づいて。」と回想しています。 戦後は九州文学同人による出版社「九州書房」に勤務。第四詩集『土どご語』(46年、装幀山田栄二)は、3500部を売り上げました。その他、『円えんすい錐花かじょ序』(60年、装画は東自身)、『抒じょじょう情あり』(61年)、『深層面接』(76東 潤左から詩集『土語』、『深層面接』、『円錐花序』北九州の詩人?モダニスト・東潤?文芸hiroba 小 野   恵北九州市立文学館 学芸員Megumi Onoようこそ文学館へ北九州市小倉北区城内4の1093(571)1505【開館時間】(入館は閉館の30分前まで)平日  午前9時30分~午後7時土日祝 午前9時30分~午後6時【休館日】 月曜日(月曜が休日の場合は翌日)【入館料】一般 200円  中高生 100円 小学生 50円〈年間パスポート〉一般 400円  中高生 200円 小学生 100円Information年、装幀多賀谷伊徳)と、全7冊の詩集を刊行しました。東の影響を受けた詩人に、岡田芳彦、小田雅彦らがいます。 大牟田市生まれの詩人黒田達也は、東について次のように述べています。「昭和初期のモダニズムの詩の中でも、特にユニークであった作風を、そのまま永遠のモダニストとして堅持し、自己の詩論を曲げなかった詩人であり、そのユニークさのゆえに孤高の人でもあった」と。 昭和初期の北九州詩壇に新風を吹き込んだ東潤。文学館では、東の詩集や原稿を展示しています。誇り高く生き抜いた詩人の言葉に思いを馳はせてみてください。 北九州は多くの文学者を輩出しており、文学館ではゆかりの資料を展示しています。今回は常設展から昭和期に活躍した一人の詩人を紹介しましょう。ざくろの如く噛み/パイプに過ごす/けむりの迷彩は/伝説だね/イイジイ的に/書物を侵かす/楽しいコロニイ/亡命客だ/ロワイヤル氏の/偶像と云ふ/その鼻眼鏡で/教養を取り/ウイルス製かね/金髪は見事さ/ウルトニア卿を/雄蘂にかざる(「ルビに振る」) この詩から意味を読みとることは難しいですね。一貫してシ※ュルレアリスムの詩を作り続けた北九州の詩人・東ひがしじゅん潤(1903?77)の作品です。難解ですがテンポのよさが感じられます。大正末期から昭和初期のシュルレアリスム運動に賛同した東は、終生シュルレアリストとしての姿勢を貫きました。 山口県大島郡に生まれた東潤(本名・島本武雄)は、21(大※ 超現実主義。20世紀最大の文学・芸術における思想。フランスのアンドレ・ブルトンが、固定観念の外側で行われる思考の表現を提唱した。西脇順三郎が超現実主義の詩や詩論を紹介したことから、日本の詩におけるシュルレアリスムの受容が始まる。催事情報を見る