CulCul 1月号 2014 page 7/16

CulCul 1月号 2014

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概要:
北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

7 CulCul 2014.January図2 荒神森古墳(現在は墳頂部に神社が建っており、墳丘は境内の一部となっている)埋蔵文化財hiroba 中村 利至久遺跡からのメッセージ(公財)北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室 学芸員Toshihisa Nakamura図1 曽根平野の前方後円墳群1 荒神森古墳  2 丸山古墳    3 円光寺古墳  4 畠山古墳5 上うえん山やま古墳  6 茶ちゃ毘び志し山やま古墳  7 両もろおかさま岡様古墳  8 御おんざ座1 号墳9 観音寺古墳※黒:現存 青:消滅 唐突ですが皆さん古墳はお好きですか。何でも近頃は古墳を愛めで、各地の古墳を尋ね歩く「古墳ガール」と呼ばれる女性達もいるとのこと。世の中がそんなことになっているとは全く知りませんでしたが、歴史愛好家の裾野が広がるのは素直に嬉しいものです。 ところで、日本考古学の世界で「古墳」と言うと一般的には古墳時代に社会的地位のある人達のためにつくられた墳丘をもつお墓のことを指します。例えばそれ以前の弥生時代に作られたお墓は、埋葬施設の構造等から「土どこうぼ坑墓」や「石せっかんぼ棺墓」などと呼び、墳丘をもっていてもそれは「墳ふんきゅうぼ丘墓」であって古墳とは呼びません。これは古墳時代以後につくられたお墓についても同様です。では何故こんな呼び分けを行うのでしょう。それは古墳が他の時代とは異なり、当時の社会に密接に関わった、高度に社会的・政治的な構築物だと考えられているからです。その存在が単なるお墓の枠を超えて、時代の象徴的な存在であるため、あえて他の時代のお墓と区別されているのです。 さて、この古墳、実は北九州市にもたくさんあるのをご存知でしょうか。現在までの所、市内ではなんと約360基もの古墳が確認されています。その形め、王権にとっては畿内と九州とを繋ぐ接点として重要な場所だったのかもしれません。日本書紀の安あんかん閑天皇二年(535年)の条には東北部九州に王権の直轄地である屯みやけ倉と呼ばれる施設が複数設置された記事があります。そのうちの一つである大おおぬくのみやけ抜屯倉の所在地は、現在の小倉南区貫ぬきに比定されていますが、これも古墳時代にこの地域が重要であったことを示す事柄の一つと言ってよいでしょう。曽根平野に築かれた前方後円墳群は、このような地域の歴史を物語る貴重な史跡なのです。 ちなみに、墳長約67mと市内最大の前方後円墳である荒こうじんのもり神森古墳は、大きな破壊を免れ現在もその形状をよく残しています。もし興味があれば、ぶらりと古墳探訪にでかけてみてはどうでしょう。きっとあなたを古代への旅にいざなってくれますよ。古墳へのいざないは様々ですが、教科書でもおなじみの前方後円墳は9基あります。これらは全て周防灘に面した小倉南区の曽根平野に集中していて、今のところ他の場所では確認されていません。前方後円墳という墳形を採用することは、一般的に畿内にあった王権と?がりがあったことを示すものと考えられています。この地域の首長達も王権となんらかの関係をもち、その結果として前方後円墳を築いたのでしょう。 曽根平野は航海の難所である関門海峡を通過せずに北部九州に上陸する最適な位置にあるた【このコーナーの次回掲載予定は3月号です】