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概要

北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

2国に分断されます。ミツコは図らずもヨーロッパ大変革の渦中に身を置くこととなり、41年に亡くなるまで再び日本の地を踏むことはありませんでした。清張は、あまたの困難を乗り越え、女手一つで七人の子を育て上げ、たくましく生き抜いた日本人女性の姿を見いだします。 ロンスペルクのあったボヘミア地方は、皇位継承者フランツ・フェルディナント大公の妃ゾフィーの出身地でもありました。しかし王室はボヘミア下級貴族出身の彼女を正式な皇后とは認めず、冷遇しました。700年に及ぶ栄華を誇るハプスブルク王室は他民族の「血」が混じることを良しとしなかったのです。ゾフィーもまた結婚に束縛された女性でした。 同じ頃に、共に婚姻によって結ばれた縁で、苦難の時代を歩んだミツコとゾフィー。二人の女性を通し、清張は独自の目線で中欧近代史の真実に迫ろうと試みるのです。な国際結婚をした日本人女性」とも言われます。 1896年、故国に戻るハインリッヒに従ってミツコもオーストリアに渡ります。西ボヘミアのロンスペルクの城でドイツ語と伯爵夫人としての振る舞いを身につけ、夫の急逝の後のち、帝都ウィーンに移ります。 当時のウィーンは壮麗で多彩な文化の花開いた、世界でも指折りの華やかな街でした。しかし1914年には第一次世界大戦が勃発。王室の名からハプスブルク帝国とも称されるオーストリア= ハンガリー帝国は解体、ウィーンはオーストリア共和国に、かつて過ごしたロンスペルクはチェコスロバキア共和 ミツコ・クーデンホーフ・カレルギー(青山光子1874年?1941年)という女性をご存じでしょうか。大和和紀による漫画や、吉永小百合主演のテレビドキュメンタリー、吉行和子や大地真央による演劇、バレエやミュージカルを連想なさる方も多いかもしれません。清張は『暗い血の旋舞』でミツコを取り上げました。 文明開化間もない東京に骨董商の娘として生まれた光子は、十七歳の時にオーストリア=ハンガリーの外交官として来日していたハインリッヒ・クーデンホーフ・カレルギー伯爵に見初められました。「初めて正式16「伯爵夫人ミツコ 激動のヨーロッパに咲いた華」――松本清張「暗い血の旋舞」ポスター松本清張記念館開館16周年記念特別企画展伯爵夫人ミツコ 激動のヨーロッパに咲いた華??松本清張「暗い血の旋せん舞ぶ 」北九州市立松本清張記念館専門学芸員小 野 芳 美Yoshimi Ono【開催期間】8月1日(金)~11月3日(月・祝)【会場】北九州市立松本清張記念館【開館時間】午前9時30分~午後6時(入館は午後5時30分まで)【観覧料】※( )内は団体料金一般   500円( 400円) 年長者利用証提示:400円中・高生 300円( 240円)小学生  200円( 160円)※常設展示観覧料に含む※こども文化パスポート適用あり【お問合せ】北九州市立松本清張記念館北九州市小倉北区城内2の3 093(582)2761Information 「暗い血の旋舞」執筆当時はまだ東西冷戦下で、〝東側?やハプスブルク家、ミツコに関する資料も限られていましたが、清張は独自の目線で分析します。自らもオーストリア、チェコスロバキア(当時)、スイスを取材し構想を練りました。本展では初公開の原稿やスケッチもご紹介いたします。松本清張著『暗い血の旋舞』1987年4月 日本放送出版協会清張撮影写真 ウィーンにて催事情報を見る