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概要

北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

4『わたしの玉碗記』(1977年12月、読売新聞社「The ガラス」)描いている。その上で、正倉院蔵の白瑠璃碗と伝安閑天皇陵出土の玉碗は〈ペルシャ・ササン朝のころにつくられ、パミールの高たか嶺ねを越え、流沙※3を横切って長安にもたらされ、さらにそれがはるばる日本に来た〉※4などと、東西文化交渉への関心と考察を加えている。 同じテーマの作品を3篇も書き残したのはその関心の強さを物語っていよう。事実、その興味の強さは長く継続し、清張はこの後生涯をかけて『火の路』『眩人』『正倉院への道』など「東西文化交流」の探究を続けることになるわけだが、清張にとって「瑠璃碗」はその象徴であり原点でもあった。 ところで、最後のエッセイのタイトルには、《わたしの》という限定が付いている。ということは、ほかの人の「玉碗記」が存在していて、その作品を意識しつつそれとは違う《わたしの》「玉碗記」を書くのだという意味が込められているように読める。実際、別作家の「玉碗記」が存在するのである。井上靖著『玉碗記』――51年8月、「文藝春秋」に掲載された小説である。ペルシャから中国、朝鮮を経て日本に来たと思われる、正倉院の白瑠璃碗と伝安閑陵出土の玉碗が、千余年の歳月を中にはさんで現代に再会する、その瞬間に主人公は冷たい薄紅い輝きと溢れる水の音を聞く、そんな詩的な小説である。 ちなみに井上靖は同じ頃、西域から日本に伝わった文物を取り上げた『漆しっこそん胡樽』(50年4月、「新潮」)や、在ざい唐とう30年の後のちに帰国した遣唐留学僧、行ぎょうが賀が、己の心を充たした〈空漠とした感慨〉に涙するという『僧行賀の涙』(54年3月、「中央公論」)など、西域ものの初期作品を発表していた。 実はすでに、清張の『瑠璃碗記』の中に、〈院蔵の白瑠璃碗については、これをモチーフとして井上靖氏に「玉碗記」という初期の佳作がある〉という一文があり、早い時期から井上の『玉碗記』を読み知っていたことが分かる。清張は戦前から敬愛する菊池寛創刊の「文藝春秋」を読んでいたので、井上の『玉碗記』を発表と同時に読んだ可能性はかなり高いと思われる。さらにいえば、戦前から考古学に興味をもっていた清張は、この井上の『玉碗記』や『漆胡樽』を読んで、考古学遺物としての古代カットガラスを通して「西域」伝来の文物、そして「西域」と中国・日本など東アジアとの間の歴史的交流そのものへと、興味と探究の目を向けていったのかもしれない。 また井上の『僧行賀の涙』も読んでいたかもしれない。主人公は遣唐留学僧で、その仲間に〈西域を経て天竺に行く計画〉を立て、同行・案内をする胡こ人じんを胡こしょう商の町で狂ったように探し回る僧がいる。これは、想像をたくましくすれば、のちに清張が書く遣唐留学僧、玄昉の物語『眩げんじん人』にまで繋がっているとも思われる。 このように見てくると、片や小説で、片やエッセイと形式は違い、内容も異なるが、清張の記憶の片隅には井上の『玉碗記』が消えずにあって、ふと思い出して、『わたしの玉碗記』を書いたといえそうである。二つの「玉ぎょくわん碗記」――松本清張と井上靖(1) 「玉碗」とは、古代のガラス碗である。「瑠る璃り 碗」ともいう。「玉」とは本来、古代中国で最高位の印材とあがめられたヒスイ等の貴石のことであるが、貴重な瑠璃(ガラス)もそれにたとえられた。正倉院蔵の白瑠璃碗と、伝安閑天皇陵※1出土の玉碗は有名である。清張も瑠璃碗をいくつか所蔵していて、その一つが正倉院の白瑠璃碗とよく似ていた。所蔵のガラス碗を題材に松本清張が三篇もエッセイを書いている事は、あまり知られていないであろう。 『瑠璃碗記』(1966年7月、 「太陽」) 『クレオソートと玉碗』(77年 1月6日、「週刊文春」) 『わたしの玉碗記』(77年12月、 「The ガラス」) 65年4月29日、前日に食べたギリシャ料理が合わなかったのか、下痢に苦しめられたテヘランでのことである。日本代理大使に連れて行かれた骨董屋〝アジババ?で、〈石のようだが、紛まがうことなき写真で見る正倉院蔵の白瑠璃碗と同じ〉※2 カットガラスを、大使と競り合うようにして百㌦で買ったとその様子を北九州市立松本清張記念館北九州市小倉北区城内2番3号093(582)2761【常設展観覧料】一般 500円 中高生 300円小学生 200円【開館時間】午前9時30分~午後6時(入館は午後5時30分まで)Information※1 古市高屋丘陵※2 『クレオソートと玉碗』77年1月6日、「週刊文春」。※3 砂漠の事。特に、中国西北の砂漠を指す。※4 『瑠璃碗記』66年7月、「太陽」。文芸hiroba 中 川 里 志北九州市立松本清張記念館 学芸担当主任Satoshi Nakagawa清張アラカルト