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概要

北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

4ポリャナ。トルストイ家。/荷物 一個/内容 死体」。 「内容 死体」……。なんとも簡潔でドライな荷札です。このうえなく事務的なのに、不思議と印象にも残ります。 この荷札から、清張は折しも準備中だった新連載エッセイのタイトルの着想を得ます。しかし荷札の文面しかメモしておらず、出典が分からなくなってしまいました。 確かにこのあたりで読んだはずだと「書斎の机のまわりや本棚をいくら探しても」該当の本は見つかりません。トルストイに言及しそうな著者にあたりをつけてもそんな一文はなく、はては翻訳者や研究者に照会もしますが「心当りがない」という回答。結局迷宮入りとなってしまいます。清張は「してみると、わたしは夢を見たのであろうか」と、モヤモヤまでもエッセイに書き記しています。 11月3日まで開催していた企画展「伯爵夫人ミツコ 激動のヨーロッパに咲いた華――松本清張『暗い血の旋舞』」展の調査過程でこの出典が判明しました。 シュテファン・ツヴァイクの『時代と世界』でした。書斎の片隅、机から手の届きそうな距離で息を潜めていたこの本は、該当箇所に付箋も貼られていました。日本人作家と思ってしまった節もあり、ツヴァイクは確認しなかったのかもしれません。箱入の装丁のために付箋が目に留まりにくかった事も災いしたのでしょうか。 清張は本全体の印象をすっかり失うほど強烈に、トルストイの最期の供を務めた荷札にだけに目を奪われたのでしょう。数ヶ月経っても「活字がありありと脳裡に残っているのである」というほどに。 こんなエピソードをタイトルに秘めた清張の連作エッセイは「名札のない荷物」。万葉集からワーグナーに、明智光秀からシェイクスピアにと、旅の経験を軸に、古今東西の事象に自在に想いを巡らせ、縦横に筆を走らせます。決して暗鬱うつではありませんが、しかし晩年の作品群同様、本作にも〈死への意識〉が感じられます。「名札のない荷物」の終章では、自身の印刷所勤務経験の想い出から、16世紀に活躍したオランダの神学者エラスムスへと話題は広がります。ここでも清張はエラスムスがヨーロッパ思想界に君臨した最盛期よりも、不遇な最晩年に想いを馳せるのです。――晩年まで栄誉に包まれた幸?福?よりも、悲惨な孤独で迎えた衰すい死しが胸に強くひびく。 最後の短いけれどビターな一文は、やはり読者に重厚な余韻を残します。 人は誰しも最期は選べないもの。旅先で図らずも生命を終えた場合、遺体がどういう歩みをたどるかご存知でしょうか。日本では一般的に先に火葬を済ませ、遺骨のかたちで運ばれるのが通常……なのだそうです。しかし海外では事情が異なり、土葬の国では棺ひつぎにおさめて運搬されるのが一般的だとか。 ロシアの文豪トルストイも旅行先で亡くなりました。1910年11月、享年82。遺体は列車で一晩かけて運ばれます。多くの国民がその死を悼み、数千人にも及ぶ群衆が亡なき骸がらの到着を待ち、田舎の小さな駅を取り囲んだという逸話も伝わっています。 90年のある日、トルストイ博物館の訪問記を読んでいた清張は、展示品のひとつ、〈トルストイの棺に添えられた「鉄道貨物の送り状」〉の文面に眼を惹かれます。「受取人 ヤスナヤ文芸hiroba 小 野 芳 美北九州市立松本清張記念館 専門学芸員Yoshimi Ono清張アラカルト清張作品再読 トルストイの棺――「名札のない荷物」北九州市小倉北区城内2の3093(582)2761【常設展観覧料】一 般 500円中高生 300円小学生 200円【開館時間】午前9時30分~午後6時(入館は午後5時30分まで)【休館日】年末(12月29日~12月31日)Information『名札のない荷物』(新潮文庫)1994年8月、新潮社1985年 左・吉永小百合、右・松本清張NHK特集「ミツコ 二つの世紀末」番組制作記者発表にて