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概要

北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

3 CulCul 2015.April演劇hiroba おおつか えみこ演劇の街は、いま大塚恵美子演劇事務所 代表Emiko Otsuka 去年の話になるが、「ブルーエゴナク」の『交互に光る動物』(作・演出:穴迫信一/2014年5月7日?5月11日/枝光本町商店街アイアンシアター)を観みた。 去年のことをなぜ今か、というと、「演劇と歌」について考えてみたいからだ。 『交互に光る動物』は、何組かの男女の物語が、時に並行して、時に絡み合いながら進行していく群像劇。日常と非日常の隙間をのぞき見るような、不思議な感触を持った作品だった。その〝不思議さ?にさらに彩りを加えていたのが、劇中に差し込まれるダンスと歌だ。 演劇と歌とは、親和性が高いように見えて、実は、すんなりとはなじまないことが多いように思う。そもそも発声法が違うのだ。ミュージカルが苦手な人が「さっきまでせりふを言っていたと思ったら急に歌い出すのが不自然」と感じるのもうなずける。「ブルーエゴナク」はその溝を埋めるのが非常にうまい。『交互に光る動物』においても、作品の中で歌を〝必然?だと観客に思わせる演出的工夫はもちろん、役者の声と体にもちゃんとその〝必然?が存在した。 歌は、それだけでも独立した劇的なアイテムとなる。せりふで「私は今悲しい」と言われても説明的すぎてなえてしまうが、これをメロディに乗せて歌にすると、案外すんなりと聞けてしまう。歌の力は偉大だ。それだけに、その存在感をどうコントロールするか、そこに演出家の力量が反映されるのだろう。 私としては、演劇と歌というと、真っ先にテント芝居を思い出す。歌の起源は祝祭時の祈りであったという説もあるらしいが、テント芝居における歌は、テントという数日間の〝祭りの場?を彩るための必須アイテムというところか。 かつて北九州でも公演を行ったことのある「黒テント」や「水族館劇場」の作品には、数々の魅力的な歌があった。また、年に一度、小倉城前の広場に「犬小屋テント劇場」と名付けたテント小屋を建てて公演を行っている「劇団どくんご」の作品中にも歌が登場し、良いスパイスの役目をしている。彼らの芝居を見て「急に歌い出すから変」と思う観客はおそらく居ないだろう。むしろ「いまだに、あの時聞いた歌が頭の中をぐるぐる回ってしまう」という声をよく聞く。もちろん、忘れがたい〝せりふ?に遭遇することもあるが、それも、そのせりふそのものが音楽的であるからなのかもしれない。表現がストレートになる分、歌から与えら演劇と歌れる影響の方が強烈なのではないだろうか。劇作家としては悔しい限りだが、歌の力、恐るべしである。 「ブルーエゴナク」の閉演後、劇場を出ていく若者たち(おそらく演劇をやっているのだろう)が、「歌の入り方が面白かった」「あんなのやりたいね」と話しているのを聞いた。そして、彼ら若い表現者層が〝歌?という手法を積極的に取り入れ、それが北九州から全国へ波及していく、なんてことになったら面白いだろうな、と思った。 1980年代、鴻上尚史率いる「第三舞台」が、一世を風靡びした時代、演劇少年少女たちは、テンポの速いせりふのやりとりと、ダンスを取り入れた演出に憧れ、その当時のオリジナル作品には、かなりの確率でダンスが入っていた。また、野田秀樹の「夢の遊民社」に影響を受けて、舞台全体を所狭しと駆け回りながら言葉遊びを次々に繰り出していく作風が流行したこともあった。それと同じ現象がこの北九州を起点として生じたら、さぞかし面白いだろう。 そこでいつものせりふである。 「北九州はその可能性を秘めた街だ」ブルーエゴナク『交互に光る動物』劇団どくんご『君の名は』(撮影:高平雅由)