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概要

北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

4 松本清張は日記をほとんど残していません。昭和55年から数年間週刊誌に連載した『清張日記』でも、自分用のメモを読者に分かるように書き直したものだと前書きで述べています。 作家・永井荷風(1879?1959年)が大正6年以来の日常をつづった日記『断腸亭日乗』は、戦後になって発表され評判を呼びました。次第に軍靴の音が高まりゆく世相と距離を置いた記述が特徴的ですが、日記の存在が官憲に知られ摘発されることを怖れた荷風は、自宅でも下駄箱に隠していたとも伝えられます。 清張も少なからず注目していたのでしょう。作家として歩き出したばかりの昭和30年の正月、年始の挨拶に井伏鱒二を訪ね「永井荷風の日記は死後の発表用のもので、実際を書いたものでないと聞き、おどろ(いた)」ことを後に記しています。実はこの『断腸亭日乗』は、〈演出〉や書かれていないことがとても多いことでも知られています。作家の日記とは、必ずしもありのままの出来事の記述ではないのですね。 『清張日記』には注目したい荷風への言及がもう一つあります。昭和55年のある日、昭和12年当時、朝日新聞に連載された荷風の小説『?東綺譚』について社の同僚と話したことを思い出した、とあります。『?東綺譚』掲載は昭和12年4月から6月のこと。国際情勢が次第に緊迫しつつあったこともあり、新聞社社内でも、こんな軟派小説は時局にそぐわずけしからん、という批判意見もあり、連載は一時中断も余儀なくされました。 清張が朝日新聞の仕事に携わるようになったのはこの年の10月ですから、社員と話したというのは連載完了後のこととなります。40年以上経って思い出したというこの回想からは『?東綺譚』を意識して読み、話題にしていたことがうかがえます。具体的な会話の内容までは『清張日記』にはありませんが、後の日米開戦時にはこっそり「いずれ社屋の屋上に星条旗がひるがえるかもしれないな」と話し合ったという清張のこと、決して「時局にそぐわずけしからん」などという論調ではなかったでしょう。荷風や清張が今、日記を書くとすれば、どのように記したでしょうか。 ところで、この『?東綺譚』はちょっと面白い構成をしています。主人公・大江は作家なのですが、自宅を離れ「家庭にうんざりした男・種田が人生をやり直したいと考え、退職金を持って行方をくらます小説『失踪』の構想を練る」という物語。つまり入れ子構造になっているのです。 荷風は大江や種田の行く末を明示しません。けれど、現実から逃げ出したい男というモチーフは清張作品でも時折描かれます。たとえば、清張の『駅路』に登場する小塚は冷静に練った家出計画を遂行してしまいます。 これは偶然の符合でしょうか。いったい男性には家出をしたいお年頃があるものなのでしょうか。荷風と違い清張は『駅路』で小塚にちゃんと結末を与えます。勝手につなげるなんてと清張さんに苦笑されてしまうかもしれませんが、さて、あなたはどう読まれますか。松本清張『駅路』表紙(新潮文庫)日記帳の行間――荷風と清張文芸hiroba 小 野 芳 美Yoshimi Ono北九州市立松本清張記念館 専門学芸員清張アラカルトぼくとうきだん北九州市立松本清張記念館北九州市小倉北区城内2の3【常設展観覧料】【お問合せ】一般 500円 中高生 300円小学生 200円【開館時間】午前9時30分~午後6時(入館は午後5時30分まで)Information