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概要

北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

7 CulCul 2015.September埋蔵財化文hiroba 遺跡からのメッセージ(公財)北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室 貫城跡は、小倉南区下貫に所在する平山城です。この城は懐良親王ゆかりの貫氏の居城です。築城者は勤皇家として有名な新田上野介義基で、応安年間(1368年?75年)に城は築かれ、養子の貫掃部介宗景(懐良親王の実子)に1800貫を与えて貫城を守らせたといわれています。現在でも貫城の頂部には、物見櫓台跡といわれる一辺30メートル四方、高さ約3メートルの人工的な高まりが残っています。 応永五年(1398年)12月、大友氏と大内氏の争乱のとき、貫掃部介宗景と長野修理大夫義種は大友方の援兵として千余騎で松山城(苅田町)を攻めました。しかし、敵の待ち伏せで不意をつかれ、貫・長野勢は大敗し城へ逃げ帰ったそうです。 新田上野介義基がここに貫城を築いた理由は、本拠地の馬ヶ岳城と当時小倉にいた菊池武親の居城とを結ぶ重要な地点であり、また田川郡を通じて太宰府・筑後と南朝方の諸城と連絡が取れる点を考えてのことでしょう。 埋蔵文化財調査室では道路拡幅に伴い、平成26年12月9日?25日まで貫城跡の麓で発掘調査を実施しました。調査区は、城跡頂上の櫓台跡から見て北東麓の谷の開口部に位置します。谷の肩部には人工的な段状の削平が見られ、この谷は城の濠の続きである可能性が高いことが判明しました。 主な遺構は、谷の西肩部で検出した江戸時代の石組み井戸と、東肩部で検出した柱穴群および16世紀の溝です。井戸の床面から寛永通寳が1点出土しました。谷部にはおおまかに5層に分層できる遺物包含層が最深約4メートルの厚さで堆積しており、大半の遺物はここから出土しました。遺物の種類は弥生時代の土器、石器、古墳時代の土師器、須恵器、中世の輸入陶磁や土師質土器、瓦質土器、江戸時代の陶器、染付など多岐にわたります。この谷は本来、古墳時代ごろに形成された自然の地形であり、貫城の築城時に濠の出口として谷の開口部を段状に成形したと考えられます。貫城跡の範囲内での調査は初めてであり、城の存続時期と関連する出土品など貴重な資料が得られました。【このコーナーの次回掲載予定は11月号です】貫城跡の麓の調査成果ぬきじょうふもと貫城跡 遠景(北から)貫城の櫓台跡 近景(北から)〈埋蔵文化財の展示案内〉・ 北九州市立埋蔵文化財センター(小倉北区金田1の1の3 093(582)0941) 北九州市を掘る(81) 埋蔵文化財速報展『古墳時代から中世の複合遺跡-菅原神社遺跡-』常設展開催中常設展『城下町から宿場町へ~出土品が語る黒崎の歴史と文化~』『シュガーロード・発掘物語』【開館時間】午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)※年中無休【入館料】無料・ 黒崎歴史ふれあい館(八幡西区黒崎3の15の3黒崎駅横コムシティ1F)【開催期間】8月25日(火)~12月20日(日)まで【開館時間】午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)※毎週月曜日(休日の場合はその翌日)休館【入館料】無料16世紀の溝(手前白線部分)と濠の落ち込み(奥)※  平らに削ることひらやまじろかねよしにったこうずけのすけよしもとぬきかもんのすけむねかげかんものみやぐらだいあとしゅりだいふよしたねよきうまがたけじょうたけちかかくふくほりつうほうちゅうけつぐんはじきがしつさくへい《参考文献》 廣崎篤夫『福岡県の城』 海鳥社 1995年