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概要

北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

7 CulCul 2015.November1 25 63 4埋蔵財化文hiroba 川 上 秀 秋遺跡からのメッセージ(公財)北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室Hideaki Kawakami 北九州市役所の南側にかつて存在した小倉陸軍造兵廠の第二製造所第二旋盤工場は1944(昭和19)年6月に米軍の空爆を受けて工員ら約70名が犠牲となったことはあまり知られていません。この工場跡の東側にあたる、大手町遺跡第13地点(現在の福岡地方検察局小倉支部の北隣部分)を平成26年度に調査しました。 当時、1930(昭和5)年に竣工する造兵廠第1期工事により調査区内は平坦にならされていましたが、それ以前の地形は同区内の4分の3が台地、南東側の4分の1が谷地でした(写真1)。 台地より一段下がった谷地は江戸時代に町人たちが住む蟹喰町でしたが、明治に入り紫川西岸の城下町跡が軍用地へと変わるにつれて、荒地になっていきます。しかし、調査を行った谷奥はある目的に使用されており、それを物語る遺物が出土しました。それはミニエー弾とその一種、三十年式実包の2種類の銃弾です(写真2)。 ミニエー弾とは椎の実型をした銃弾で、鉛製の弾丸は重量が約30グラムあり手の平に載せるとずっしりとした重さです。主に幕末から明治初期に使用され、小倉城跡で行ったこれまでの調査でも数点出土した例はありますが、今回はその一種を含め弾丸の総数が130点と多く、このうちの94点が谷地から出土しています。これらの弾丸には使用による変形と、谷地の西側斜面で多く出土する傾向が見られ、斜面際に設けた標的に射撃をしていた結果と考えています。 また三十年式実包とは、1897(明治30)年に三十年式小銃とともに軍に制式採用された銃弾です。弾丸は直径6・65ミリ、長さ約32・5ミリ、重量は10・5グラムと軽く、弾頭が円頭型をしています。弾丸は70点以上出土しており、蟹喰町跡を覆う土に多く含まれていました。ミニエー弾とは出土傾向に違いがあり、標的の位置が変わったことに起因していると考えています。 以上の点から、ミニエー弾とその一種は主に1875(明治8)年、小倉に設置された歩兵第14連隊が、三十年式実包は1898(明治31)年同所に司令部が開庁する第12師団が、ともに歩兵教練の一環として射撃訓練に用いたと考えられます。このことは小倉藩士・松井斌二(1831?1916年)の著した「龍吟成夢」(『豊前史料集成三』小倉藩政史研究会編1994年)に第14 連隊営所や篠崎練兵所の事柄に続き「蟹喰町ハ射的場ナリ」と記している点と符【このコーナーの次回掲載予定は1月号です】小倉造兵廠跡出土の銃弾は語る〈埋蔵文化財の展示案内〉・ 北九州市立埋蔵文化財センター(小倉北区金田1の1の3 093(582)0941) 北九州市を掘る(81) 埋蔵文化財速報展『古墳時代から中世の複合遺跡-菅原神社遺跡-』常設展開催中常設展『城下町から宿場町へ~出土品が語る黒崎の歴史と文化~』『シュガーロード・発掘物語』【開館時間】午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)※年中無休【入館料】無料・ 黒崎歴史ふれあい館(八幡西区黒崎3の15の3黒崎駅横コムシティ1F)【開催期間】12月20日(日)まで【開館時間】午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)※毎週月曜日(休日の場合はその翌日)休館【入館料】無料合します。ここで銃の取り扱いや射撃に習熟した兵員が、1877(明治10)年2月の西南戦争鎮圧や、1904(明治37)年2月に開始した日露戦争に出征して行きました。 また、調査区の東隣には造兵廠に付属した小銃試射場跡があり、蟹喰町跡周辺では、明治から1945(昭和20)年にかけて小銃の射撃音が鳴り続いていたことを物語っています。写真1 大手町遺跡第13地点2区全景(北から)写真2 ミニエー弾とその一種(1~4)、三十年式実包(5・6)(ミニエー弾)※ 兵器・弾薬・器具・材料などを製造・修理した  軍隊直属の工場、および機関のこと。小倉陸  軍造兵廠は1933年10月1日に発足し、  小型戦車、小銃、機関銃、高射機関砲、砲弾、  風船爆弾、科学兵器などを製造していた。じっぽうきょうれんたけじりゅうぎんせいむせいえいしょぺいしょれんひがしどなりしょうじゅうししゃじょうあとかにはみまちぞうへいしょう篠崎の武家屋敷跡蟹喰町跡