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概要

北九州市芸術文化情報誌「CulCul」・ 「かるかる」  発行/北九州市、(公財)北九州市芸術文化振興財団 出版事業課

7 CulCul 2016.March埋蔵財化文hiroba 梅 﨑 惠 司遺跡からのメッセージ(公財)北九州市芸術文化振興財団埋蔵文化財調査室Keiji Umezaki 八幡西区大字浅川に所在する浅川城跡は中世の山城として知られています。山城は標高約70メートルで、南北約250メートルの細長い山城です。今回発掘調査した地点は、南北に延びた小山中央部分から東に延びた曲輪です。これを東出曲輪と呼びます。発掘調査面積は2150平方メートル。当地は自然林が残っている里山でした。樹木の伐採と除去、そして人力による表土剥ぎと大変な調査でした。調査期間は約3カ月間。 検出した遺構は、曲輪14、堀切1、縦堀1、土塁1、武者溜り1です。堀切は断面が逆三角形で、南北側に延び、丘陵の下側まで延びていました。南側は二股に分かれ、一方は行き止まり、他方は幅が狭く一人ずつしか通れなくなっていました。浅川城の特徴の一つは、この堀切で東西南北の四方が区切られていたことです。今回は東端の堀切を調査したことになります。堀切の南端には入り口とみられる部分があり、この真上に数メートルの土坑がありました。これは入り口を見張る武者溜りと考えられます。 この付近から出土した遺物は、土師器の皿、坏、瓦質の甕、すり鉢。備前陶器のすり鉢などです。これらはここに人が居たことを示す状況証拠であります。年代は16世紀。 山城がある浅川は当時、筑前国山鹿荘内にあった一つの村で、当地は鎌倉時代から室町時代にかけて地頭代として活躍した麻生氏の所領でした。従って麻生氏の一族郎党が関わった山城と考えられています。山城は村と一連の開発拠点として、また浅川地区や洞海湾と遠賀川河口をつなぐ江川の管理のために築造利用されたことが予測されます。また、江戸時代の陶磁器が出土していることから、江戸時代になって番所が置かれ管理【このコーナーの次回掲載予定は5月号です】つわものどもの夢の跡―中世山城浅川城―〈埋蔵文化財の展示案内〉・ 北九州市立埋蔵文化財センター(小倉北区金田1の1の3 093(582)0941) 北九州市を掘る(82) 埋蔵文化財速報展『小倉城西曲輪(にしくるわ)の藩士・町屋敷跡-大手町遺跡第13地点-』 藩施設や町屋敷から出土した陶磁器や瓦、銅製品など約50点を展示 常設展もあり【開催期間】4月24日(日)まで【開館時間】午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)※毎週月曜日(休日の場合はその翌日)、年末年始は休館【入館料】無料・黒崎歴史ふれあい館(八幡西区黒崎3の15の3黒崎駅横コムシティ1F)常設展開催中常設展『城下町から宿場町へ~出土品が語る黒崎の歴史と文化~』『シュガーロード・発掘物語』【開館時間】午前9時~午後5時(入館は午後4時30分まで)※年中無休【入館料】無料されていたことが考えられています。 里山にはトンビがたくさん飛び交っていました。開発が彼らの生活環境を狭めてしまったのかと思うと気がかりです。 山城からは本城である花尾城や帆柱山城、若松の花房山城などが見えました。のろしや旗をあげ連絡を取り合った当時のつわものの様子が目に浮かびます。浅川城跡全景(東から)曲輪3斜面の調査状況やまじろくるわひがしでくるわほりきりたてぼりどるいむしゃだまは じ きつきがしつかめじとうだいほばしらやま