所在地 北九州市小倉南区田原三丁目
調査時期 令和3年10月1日〜10月19日
調査面積 715㎡
本遺跡は、小倉南区田原三丁目に所在している。
調査では、多数の柱穴とそれらで構成される掘立柱建物の他、中世の地下式土坑、4条の溝等を検出した。
柱穴からは、古墳時代〜古代、中世の遺物が少量出土している。掘立柱建物は、調査区南側で2間×4間ないし、4間×4間の1棟を確認し、この他、3〜6間の柱穴列を複数確認した。一部の柱穴列は、その配置から、建物を囲う柵列の可能性が考えられる。柱穴は調査区の南側と北側に集中しており、柱穴集中部の中間部分には柱穴がほとんど検出されていない。以上のことから、柱穴集中部に建っていたであろう建物は、相互に関連していた
可能性があり、柱穴の無い部分は屋敷間の通路的空間と推定される。
北側で検出された地下式土坑は、東側に開口(入口)し、3段の階段が作り出されていた。床面平面形は方形で、検出した天井側では丸みを帯びて
いることから、天井部はドーム状であったと推定される。土層からは入口部から埋まっていったことが分かり、一部の層には大量の貝類が廃棄されていた。この他、備前焼の甕片や土師器、石臼等が出土しており、中世後期頃に埋没した遺構と考えられる。検出された柱穴の集中部や建物は、地下式土坑と近接した時期の屋敷地の一部の可能性があり、M地点周辺に中世の屋敷地が存在していたと考えられる。
主な遺構
古墳時代〜中世 |
土坑、掘立柱建物や溝跡、多数の柱穴 |
古墳時代〜中世 |
須恵器、土師器、中世陶磁器、石器など |
コンテナ |
18箱 |