石田・原遺跡第7地点5区
所在地 :北九州市小倉南区石田南二丁目
調査時期:令和7年12月15日~令和8年2月10日
調査面積:2,522㎡
調査の内容
本遺跡は竹馬川の支流である稗田川と石田川の間に展開する狭長な沖積平野に位置する。遺構は調査区全体から検出され、竪穴建物5軒、土坑5基、溝状遺構17条、ピット多数などが確認された。
竪穴建物は平面形が方形と円形のものが確認された。2号竪穴建物には平面方形で炉跡が検出され、炭が溜まっていた。この炉跡から60㎝ほど南側には柱穴とその横にベッド状遺構が検出された。柱と炉跡の位置関係から見ると、この建物は2本柱であったと考えられる。また、東辺の壁際において確認された土坑ははっきりとした用途は不明だが、出入口に設置されるもので、この建物は東側に出入口があったことが想定される。なお、この建物内からは弥生時代終末期の土器が多く出土している。
2号竪穴建物の南東側で確認された11号溝状遺構は、2号竪穴建物の壁に平行して延びており、この建物に付属する遺構だと考えられる。
1号竪穴建物はコンクリートの基礎によって大きく壊されているが、建物壁際に巡る細い溝状遺構とベッド状遺構が確認された。東側にある溝状遺構に接して土坑1基が確認されており、この部分が出入口であると考えられる。
5号竪穴建物はほとんど床面しか残っていないが、円形に巡る溝状遺構と炉跡が検出された。この溝状遺構は2号竪穴建物と重なる位置で確認されており、炉跡は2号によって壊されていることから、5号は2号よりも古い遺構であることがわかる。一般的な「すまい」として使われる竪穴建物は弥生時代後期になると平面形が円形から方形に変化することがわかっており、北九州市内においても同様の傾向が確認されていることから、5号は少なくとも中期以前に作られたものと考えられる。
これらの状況は周辺地域の弥生時代終末期〜古墳時代の集落を考える上で重要であり、貴重な成果を得ることができた。

遺跡全景(上が南)
2号竪穴建物完掘状況(西から)
2号竪穴建物から出土した弥生土器(西から)

5号竪穴建物掘削状況(北東から)
主な遺構
| 弥生時代・古代〜中世 |
遺物包含層、竪穴建物、掘立柱建物、土坑、土器棺墓、溝状遺構、ピットなど |
主な遺物
| 弥生時代・古代〜中世 |
弥生時代中期・終末期の弥生土器、石戈、古代の須恵器、 古代〜中世の土師器、青磁など |
| コンテナ | 69箱 |
